離れた流れを引き戻す渦は、はたして秩序であろうか?



『転 夜駆ける(あけ)・其の二〜拾陸〜』




「いつまで伸びてるつもりよ!」


山吹は引きずるように運んでいた宗明(蘭の裏拳により昏倒中)を放り出した。強い遠心力で投げ出された宗明は体を強かに地面に打ちつけ、目を覚ました。


「ってー…」


頭を振って記憶を手繰り寄せる。


「目は覚めたかしら?」

「宗明打たれ弱い〜!」

「五月蝿ぇ…」


宗明は滴る鼻血を乱暴に拭うと起き上がった。


「おい、蘭はどうした?あとあの親父は」

「蘭が引き留めてるわ。さぁ、今のうちに咲のところへ行くのよ」

「ちょっと待て!蘭が引き留めてるたぁどういうことだ!」

「どうって…あの人も物憑きだったんでしょう?何が憑いてるかは見えなかったけど。あんたは視えなかったわけ?」

「…いや」

「そうでしょうよ。咲のことしか考えてなかったものね?」

「いや…それは…」

「いいわよ。今回はそれでいいわ。だから早く行きなさい」

「吹姐…もしかして、何か来るの?」


何度も先を急かす山吹に疑問を持った燐が問うた。


「予定ではね」


思いがけずあっさりと山吹は答えた。


「まぁ、予定は変わるから断定は出来ないけど」

「よく言うぜ」


必ず起こることしか視えねえっつったのはどいつだ?と宗明は嘆息した。


「あら?そんなことないわよ。大概のことは完璧に見通せるけど、あんたと咲が絡むとからっきし」

「え?どのくらい?」

「そうねえ…いつもの一割くらいかしら?」

「ええっ!?」

「ハズレる確率」

「低っ!!」

「ひっく!なにそれ!?殆ど見切れてるじゃん!!」

「ああもう五月蝿いわね。頭の上で騒がないで頂戴」


と、言うが早いか山吹は肩車状態の燐の襟首を捕まえ、子猫のように引き剥がすとそのまま宗明に投げつけた。


「おああ!?」

「きゃああああ!」


宗明はすんでのところで飛んできた燐を受け止め、キッと山吹を睨んだ。


「おおおま、何してんだ!」

「ひどーいっ!!」


燐も涙目で訴えるが、当の山吹は全く意に介さず、


「怪我がないならいいじゃない」


とのたまう。


「オニっ!吹姐のオニぃぃぃぃ!!」

「そういう問題じゃねーだろうが!」

「全く以て些事だわね」

「「些事じゃない!!」」

「…どうでもいいわ。それよりも」

「さっさと行けっつってんだろうがぁっ!!」


突然鋭い剣幕で怒鳴る山吹を目の当たりにし、宗明は燐を抱えて一目散にその場を後にした。


「出てらっしゃいな。あたしと遊びましょう?」


山吹はにこやかに通りの向こうに声を掛けた。シャラシャラと簪が音を立てて影が揺れた。





+++++





「チィッ…」


蘭は巧みに犬たちの攻撃をかわしながら舌打ちした。

キリがない。

蘭は前から迫る一頭目を躯を右に開くことでかわし、反対側から飛びかかってきた二頭目は屈み込みそちらに転がってやり過ごし、残りの三頭は身を起こすと同時にトンボ返りで上空へ避けた。
宙空で白木の木刀―陽乎寂丸(ひこさびまる)―を抜くと着地の瞬間躯を深く沈み込ませ、落下の勢いのままぐるりと円を描いて周囲を薙いだ。犬たちは一瞬首を竦めて動きを止めたが、すぐに態勢を立て直し再び蘭に向かって来る。
一頭目の鼻先を払い軌道を逸らしそのまま隣の犬の妨害をして、背後から攻めて来る犬はそれに合わせて体位をずらし躯を回転させてすれ違う刹那、その背を打ち据えた。眼前に飛びかかってきた犬はかわし切れないと判断し、左腕を盾に掲げた。

グサリ。

鋭い痛みと共に肉の薄い腕に犬の尖った牙が突き刺さる感触。骨を掠めたのか、疼くような鈍い痛みもジワジワと広がってきた。


「ぐっ…」


腕に力を入れてしっかりと握り締めてみる。大丈夫。折れちゃいない。

蘭は陽乎寂丸を捨て、空いた右手で犬の首の皮を掴み、勢いに任せて犬ごと左腕を後ろに叩きつけた。


「っらあっ!!」

「キャイン!」


背後から迫っていた犬目掛けて振り下ろして噛みついた犬諸とも倒し、更に残った二頭にもそのままぶつけて全て片付けた。


「っ、ハァ…ハァッ…」


蘭は未だ食い込む犬の牙を、右手で顎を開かせ慎重に抜いた。わざわざ袖を捲って確認する気は起きないが、絶えず指先から滴り落ちる液体が急速に冷えていく感覚ははっきりしているので、割合深い傷なのだろうと予想を立てる。


「いやいや、お見事お見事」


パチパチと手を叩きながら兼若はにっこりと笑った。


「しかし奇妙だね?」

「なぜ君はそんな獲物を持っているのに使わないのかね?」

「別に、彼らを打ちのめす必要がありませんから」


蘭は懐から襷を取り出し、負傷した左腕に巻きつけた。肉は抉れていないので、しっかりと止血すれば失血死は免れる。


「打ちのめす必要がない?それはまた、異なことを言うのだね、君は」


兼若は心底可笑しいとでもいうように呵う。


「腕を潰されていながら」

「それでもまだそれを叩き潰す必要がないと?」

「ええ」


嘲笑うような兼若の視線を受け流し、蘭は陽乎寂丸を拾い上げるため腰を屈めた。


「彼らに非はない」

「けしかけたのは貴方だ。それに」

「それに、何かな?」


ニタリ、と兼若の表情(かお)が醜く歪む。蘭は陽乎寂丸をその手に携え躯を起こすと、スゥと目を細めて木刀の切っ先を兼若に向けた。


「貴方を倒すのに、腕なんて一本で十分ですよ」





+++++





宗明は燐を背負って渦巻く雲を見上げた。


「お前…咲の気配は探れねーんだよな」

「うん。…ごめん」

「謝んなバカ」

「うん」


小さな手が宗明の上着の肩を握り締める。


「燐、皺になる」

「わかってる」


振動のせいかは定かではないが、燐の声は弱々しく震えている。出来もしないのに強がるのは燐の癖だ。


「だったら泣けばいいだろう」

「…やだ。だって私は」

「姉ちゃんだってか?莫迦なこと言ってるんじゃねーよ。形(なり)まで餓鬼のクセに」


宗明は鼻を鳴らした。顔を伏せる燐の頭がガクガクと揺れる。


「それは…私のせいじゃないもん」


燐は宗明の背に顔を押し付け、くぐもった声で吐き出すように呟いた。


「年食ってる割に親離れもまだ済ませてねーのに粋がんな。餓鬼は餓鬼らしくしてりゃいんだよ」

「親なんて…」


知らないもんという呟きは発せられなかった。宗明が立ち止まったからだった。


「宗明?」


目を充血させて顔を上げた燐が尋ねた。


「どうしたの?」

「……結界だ」


通りの端から端に目を遣り、そして遥か上空を見上げて宗明が呟いた。






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090126 第1稿

背景画像 冬風素材店 様



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