夕日が沈むのをどうして止めることが出来よう?
『転 焦燥〜拾肆〜』
宗明は窓辺ですっかり夜の帳に包まれた町を見下ろしていた。
(どうしたらいい?どうしたら咲を救える?鬼門を外したとして、それはどこにやる?式に付けるか?いや、そんなんじゃ足りない。なら燐か蘭に…?いや、何も変わらねー。ていうか鬼門は外せるのか?外したらマズいってことも…)
「っああ〜〜〜!くそっ」
幾ら想定しても導き出せない答えに宗明は舌打ちした。窓枠に掛けた腕で額を押さえる。気持ちばかりが焦って、自分の行動に自信が持てない。咲の気配は三日前にぷっつりと途切れたきりで追うこともできない。しかし、それだけならまだよかったのだ。それはどこか結界内にいるという事に他ならない。
問題なのは方角だった。
北東―――艮(うしとら)とは陰陽道における『鬼門』に当たり、鬼を始めとする妖怪や災禍の通り道である。そんな中に居ては、鬼を喚び出す門【鬼門】たる咲の覚醒の刻限が短くなるのは目に見えている。そしてそういった意味で不味いだけではなく、厄災を回避するための霊廟が数多にあるということも宗明が頭を抱える理由であった。虱潰しに探すにはあまりにも時間が無い。例え咲が盲目であり、行動範囲が狭まっていてもである。
「何か…何か手は…」
一人貧乏揺すりも禁じ得ず苛々と頭を悩ませていると、勢いよく襖が開いた。
バシン!と襖の枠木が柱を叩く音に驚いて顔を上げると、おかっぱの小さな女児がヨタヨタと駆け込んで来た。
「宗明〜なんとかしっ!…ったぁあいー」
短い尺の足と急く気持ちの均衡が取れていないのか、女児は五・六歩でバタンとそれは見事に転倒した。
「…」
「ああっ!もうそんなに急ぐから…」
後からやって来た頬かむりの若者が子供を抱き上げて宗明の前に立った。宗明が訝しげに眉を寄せて二人を見上げると、若者は幼女を抱えたままその場に正座した。そして頬かむりを外すと現れた三角耳はしょぼんと垂れていて、宗明はあんぐりと口を閉じることも出来ずピクピクと目尻を引き攣らせて二人を凝視した。
「オイこりゃあ何の茶番だ?イッコー」
宗明は柱に寄り掛かり、腕組み足を交差させた山吹に目を移す。
「あたしに判ると思って?」
山吹はフッと口元を緩めると右腕を開いて答える。
「お前、そこにいたんだろう?」
「居たわよ。でもそれとこれとは別」
「ねー宗明なんとかしてよ〜、何でこんななっちゃったの〜?」
泣きそうな顔で幼女――燐が若者――蘭の腕から身を乗り出す。宗明は溜息を吐くと風呂敷を取り出し、香灰を朝露で溶くと更にそれを神酒で薄め、太めの筆を以ってその上にするすると陣を描いた。そして一旦筆を置くと双子に目を遣る。
「ほら、蘭。お前からだ」
宗明は陣を顎でしゃくって示しながら袂を探る。
「へ?僕からって?」
気の抜けた声で返事をして蘭は燐を見下ろした。その先では燐も同じように大きな瞳をくりくりと輝かせて蘭を見上げている。目当てのものを探り当てた宗明は二人に向き直って説明する。
「いいか?お前らの力はお互いに還元されるようになってて、特に燐の力はお前に依存してるんだ」
「えー、私の方がお姉さんなのに〜?」
「…そのナリで言われてもなぁ。まぁ兎に角、お前らが生まれ持ったものなのか晴明がやったのかは知らねえが、陰陽に関係してるのは確かなんだ。てぇことは、蘭が落ち着かなきゃ話にならないだろ?俺は二度手間は御免だ」
「ふーん」
女児を下ろした若者は、無表情な中に僅かに喜びを滲ませて(三角の耳をピンと立たせて)陣に入った。
「いいか?」
「うん」
宗明は風呂敷の四辺それぞれに先程取り出した四聖獣の札を貼った。
「…ぉあ?」
「何だ?」
同じものを隣に設置しながら宗明が問う。
「なんか、躯が軽い」
「ふん。馬鹿でかい妖気がいくつもあるんだ。今でこそその程度で済んでるけどな、解放なんかしたら圧し潰されちまうぞ。…ほら、後は解術すればいい。二重に掛かってるからな」
「判ってるよ、その位」
蘭が胸の前で手を組み、印を結ぶとポフンという音と共に靄が立ち込め、若者の立っていた場所には少年の姿の蘭が現れた。
「戻った…!」
蘭はいかにも安堵した様子で陣から出ようとした。
が、
「出るな!」
「っ!?」
制止を強制する声に、蘭はビクッと肩を震わせて足を戻した。
「外がこれだけ狂ってるんだ。燐が戻るまで待て。ほら燐、入れ」
「うん」
宗明は女児が陣に入ると先と同じく、四辺に四聖獣の札で封をした。
「ぅわ…!すごいね」
「ああ。本当だ。燐が居る方が落ち着く」
「じゃあ、」
燐が印を結ぶとポンと靄が立ち、中から現れた少女姿の燐は目をしばたたいて己を見下ろした。
「よ、よかったぁ…」
「よし。じゃあ出てもいいぞ。但し、二人同時にだ」
「わかった」
「「せーの!」」
二人が陣の外に足を着くと、ボフンと一際大きく、靄が双子を包んだ。
「なにっ!?」
「どういうことよ?これは」
想定していなかった事態に山吹も身を乗り出して宗明に訊ねる。
「俺に聞くなよ。…どういうことだ?」
靄が消えた後に残った双子の姿は、燐は幼子、蘭は若者の姿になっていた。
「なっ、んで…」
「どうして?」
驚く双子を前に、宗明は顎に手を当て黙考した。
「燐、お前陣から出たとき蘭の方に引っ張られるとか流される感覚はあったか?」
「んー?あー…ったかも。たぶん」
「蘭は?」
「押し付けられる感じはした」
「ああ。それだな、恐らく」
一人納得したように宗明は数度頷いた。山吹、燐、蘭は訳が解らないと首を傾げる。
「なによ。どういうこと?」
「躯の反射だ。表の圧力に耐えられる表面積になるよう、自動的に力を押し出して制限してるんだ。まぁ、可能な限りとばっちりを食らわない為の防衛本能だな。燐は傷モノだから」
「傷モノとかゆーな!」
蘭は宗明に詰め寄ると彼を睨み上げる。
「…なんでお前が怒るんだ?」
冗談だと言って宗明は蘭の肩を押さえ、座るように促し自分も腰を下ろす。燐が蘭に駆け寄り、その肩にしがみつくと宗明は再び説明を開始した。
「で、流れた力は循環している蘭に集約される。陽、太陽を司っているのも関係してるんだろう。月が照るのはお天道様のおかげだって言うぐらいだしな。力の絶対量は変わらねーんだ。燐から余った分が蘭に溜まるようになっててもおかしくねぇだろ」
同意を求めるように宗明は首を傾げる。
「成程ね」
いつの間にやら側まで来ていた山吹が得心がいったように頷いた。
「じゃあ、でもでも私も蘭も子供のときは?大人のときは?それじゃあ説明できないよ」
燐は眉を寄せて宗明に訊ねる。
「それとは条件が違うだろう?」
「はぁ?何の条件だよ?」
先の発言をまだ根に持っているのであろう、蘭はつっけんどんに宗明に返す。
「外のだよ。これ以上デカい爆弾が揃うこともないだろう?そのせいでここいら近辺の妖どもの力も増長してる。おかげで全部混ざってもう雑魚の場所も特定出来ねぇ」
「それが?」
「〜〜〜〜めんどくせぇ。燐、これに火ぃ点けてみせろ」
「?うん?」
いちいちつっかかってくる蘭に業を煮やした宗明は手元にあった札の切れ端を燐に向けた。コクンと頷いた燐は懐から蒔絵の施された黒い扇子を取り出し、パチンと一つ鳴らした。
「…あれ?」
何も起こらない。燐は立て続けに三度扇子を打ち鳴らしたが、何も変わるところはなかった。
「蘭」
宗明は蘭に紙片を向けた。蘭は面倒そうに溜息を吐いて指をパチンと鳴らした。すると、紙片は緑掛かった紫色の炎を揺らしてチリチリと燃え上がった。
「なん…で?」
動揺を隠さず潤んだ瞳で宗明を見詰める燐。
「さぁな。だが、今のお前の躯は普通の『人間』と変わらないんだ。自分たちに害をもたらしさえしなけりゃ大した攻撃もされないってことだろう。まあ、多少取り憑かれ易いだろうがそれ以上は防げる」
「そんな!」
「もしものときは蘭がなんとかするんだから、そうそう悲観することないわよ」
俯き、肩を震わせる燐の背中を叩き山吹は彼女を慰める。
「うん。僕が守ってあげるよ」
小さな燐に向き直り、視線を合わせて蘭は微笑う。
「だから勝手に離れないで」
ね?
にっこりと微笑む蘭をキョトリと見詰め、燐は数度瞬く。
「蘭〜〜」
燐は腕を広げた蘭の首に飛びついた。先程の深刻さはどこへやら、きゃらきゃらと笑い出す。
(子供って…)
(こいつら…)
((単純))
傍観者二人は小さく鼻を鳴らした。
「さあさ、お嬢ちゃんたち。もう準備はよろしくて?」
山吹は手を叩いて自らに注目を集めた。なにやら吹っ切れた双子は爽やかな笑顔で頷いた。
「うん!」
「いいよ」
「宗明、咲の時間はどのくらい残っているのかしら?」
「…何するつもりだ」
全く蚊帳の外に追いやられた宗明は目を眇めて山吹を見遣る。
「いえね、要注意人物に唾付けとこうと思って。他のは問題無いんでしょう?」
「恐らくは」
「そう。ならいいわ」
山吹は予想通りとばかりに微笑み頷く。その意味深な仕草に、燐は山吹に駆け寄った。
「なになに?吹姐犯人わかったの?」
「いいえ」
山吹が笑顔で即刻否定するのに燐は肩を落とした。
「ていうかさー…ホントは姐さん視えてるでしょ?」
蘭は疑わしげに山吹を見詰める。その声音は確信そのものである。
「さぁ?視える事象と現実は必ずしも一致するとは限らないわよ」
山吹はそんな問いにも曖昧に笑うばかりだ。宗明は山吹の茶番には付き合えないと、明後日の方向に目を遣り肩を竦めた。
「でも、視てるよね」
「…そうね。でも、起こっていること全てが視える訳じゃないわ。私が視るのは破滅だけよ」
尚も引き下がらない蘭に、山吹は目を細めはぐらかすに徹した。何もかも見透かしたように笑いながら全てを語らないのは山吹の常套である。
ガチャン!
京はひっくり返ってバラバラに散らばった膳を茫然と見下ろした。
―――熱い。
手足が震える。力が抜ける。ガクンとすぐに膝が立たなくなった。
「京!どうしたんだい!?」
「わ…若女将…」
お座敷の片付けを監督していた若女将が、物音に気付いて廊下に飛び出した。
「皆は先に片付けを!ああ、おキヨは兵吉を呼んでおくれ。そしたら奥に床を一つ出しておいて頂戴!」
若女将はテキパキと指示を出し、名を呼ばれた女中は返事を残して兎のごとく跳ねて行った。若女将はそれらを見届けると崩れ伏し、ガクガクと全身を痙攣させている京に駆け寄った。
「京、一体どうしたの?どこか具合でも悪いのかい?」
「寒…くて…でも…熱いんです」
「はぁ?熱があるのかい?」
若女将は京に手を伸ばした。が、その手が京に触れることはなかった。否、正確には触れたくとも『精神的に』触れられなかった、のだが、二人がそれを知る由も無く。
「風邪なら早くお休みなさいな」
若女将はそう言いながらも京の傍を離れようとはしなかった。そんなつもりは無いにも拘らず、体が受け付けないような不思議な感覚を抱き、若女将は顔を顰める。
「おや?どうなさいましたかな?」
兼若であった。
「兼若様…」
若女将は呆けた顔で兼若を振り仰いだ。そしてすぐにびくりと肩を跳ねさせて兼若に向き直り、頭を下げた。
「申し訳ございません!お見苦しいところを…」
「いえ、お気になさらず」
兼若は微笑い、若女将の隣に膝を突いた。
「あなたは…京さんだね。どうしたのかわかるかい?」
「い…いえ…」
「そうか、大丈夫だよ。具合はどうかな?痛いところでもあるかな?」
「すご、くさ…む…くて、でも…あ、つい、です」
「ふむ…失礼」
兼若は京の首筋に手の甲を当てた。そんな動作に若女将は知らず目を見開く。しかし同時に無意識に兼若と僅かに距離を開けた。なんとなく、生理的に、近づいてはいけないと、自分の意思に反して体が要求していた。しかし哀しいかな、やはり若女将がそれに気付くことはない。否、それは彼女が気付く必要の無い事柄であり、分を弁えた有効な自衛であった。
「熱が少しあるね。頭はクラクラするかい?」
「いえ…」
「そうかい。なら、『ミヤコさん、次に目を覚ました時にはすっかり気分が良くなっている』はずだよ。ゆっくりお休み」
兼若は笑みを深めた。若女将は一抹の気味悪さを感じつつも、それを表現する語彙を持たなかった。
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081119 第1稿
背景画像 冬風素材店 様
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