さて、おさらいからはじめましょうか?
『転 戻らざるは〜拾参〜』
四人は卓を囲んでいる。
山吹は中央に据えられた地図に、朱墨で印を施しながら他の者に説明する。
「いいこと?ひとつは北東」
山吹は薄めた朱墨で自身から見て右奥、正面の吉乃と右の宗明の間を斜線で塗り潰していく。
「ふたつは中央で西寄り」
地図の中央に直径一尺程の円を描き、吉良側の半分を同じように塗り潰した。
「で、ここ。手鞠屋は…ここよ」
山吹は濃い朱墨を一滴、先の円の中に落とした。印は塗り潰した半円に入り、濃い雫はじわりと滲んで伸びる。
「じゃあ、二匹はこの近くに居るってことね?…ねぇ、私たちのことじゃないわよね?」
吉乃は不安顔で山吹を見た。
「それはないわよ。そこまでイジワルする人じゃないわ」
あんなのあたしを体良く追い出す口実なんだから、と山吹は手を振った。
「なら、そっちのどこかに咲ちゃんが居るってことか」
「そういうことだな」
吉良の言葉に宗明が同意した。その言葉を待っていたかのように、山吹は再び言葉を紡ぐ。
「じゃあ次よ。みっつのうち、ふたつは最近やってきた。ひとつは咲ね。となると、もうひとつはこっち」
科白と同時に左の半円を指す。
「この中から探すの?」
対象の建物は一軒二軒ではなく、吉乃は悲痛な声を出した。吉良はそんな吉乃を笑いながら言う。
「吉乃、よくご覧よ。この中は商店街だ。だけど宿はここしかない」
もう水無月も半ばだから、居たとしても最近雇われた奴なんて高が知れてるさ。と、あっけなく吉乃の疑念を打ち消した。
「やっぱり客を探すのが妥当だろうな」
頬杖を突いた宗明も肯定を示す。
が、
「でも、なら、もういないかも知れないじゃない?」
宿とはいっときの仮住まい。永く滞在するためのものではない。当然入れ替わりも激しい。偶然ここに居るだけの全く関係ない妖であるかも知れないのだ。
「それはないな。犬神は咲を追って来てるらしい」
「何であんたにそれが分かる?」
妖すら特定してはいなかったというのに。吉良が宗明に噛みついた。
「そりゃあジジイに聞いたからな」
「え!?じゃあ、前鬼ちゃんたち来たの?」
突然瞳を輝かせて吉乃は宗明に縋りついた。
「ん?ぉ、…おお」
若干引きつつ肯定する宗明。すると吉乃の瞳は一層輝きを増した。
「宗明!もう一回喚んでよ」
むしろ狂気に駆られたような様子の吉乃は、今にも叫び出しそうだ。そんな吉乃に宗明は渋い顔をする。
「嫌だよ。説教ばっかで煩せぇし」
「え〜そんなことないよぉ」
「………!そのうちな」
宗明は一瞬、何かに気付いたような表情をすると笑顔で吉乃の頭をくしゃっと撫でた。
「ところで、あんたたちこいつらの居場所わかんないの?」
思い出したように山吹は首を傾げた。
「「それはぁ…」」
吉乃と吉良が目を細めて何やら意味あり気な顔で宗明を見た。二人の視線に気付くと、宗明は顔を顰めた。
「何で俺を見るんだ」
はん、と鼻を鳴らして吉良は肩を竦めた。
「俺らの力、無理やり絞ってるくせに何言ってやがる」
「そうよ。じゃなかったらこんな苦労してないわ」
やんやと囃し立てる二人に向かい、宗明は右耳を塞いだ(右には先程縋りついていた吉乃が居るためである)。
「おい、お前ら。勝手なこと言うのも大概にしろ。咲がどうなってもいいのか?」
その発言に山吹は目をしばたたいた。吉良はキョトンとした顔で宗明を見返すと口を開いた。
「…何その犯人みたいな言動」
「強引に起こしちゃ面倒なんだよ、いろいろと」
宗明の言葉を受けて、何やら考え込んでいた山吹は何事かを閃いたように声を上げた。
「…そうよ。無理やり起こしちゃえばいいんだわ!」
「おい、イッコーてめぇ…話聞いてんのか?」
山吹の言に対し、宗明は渋い顔でこめかみを引き攣らせた。
「だってそうでしょ?今のあんたたちなんてただのお子ちゃまと保護者でしかないじゃない」
「お子っ…!」
山吹の暴言によろめく吉良。
「だからそれは…」
尚も弁明を続けようとする宗明を遮って、山吹が言葉を続けた。
「ええ、面倒なんでしょう?知ってるわ。聞いたもの。でも、だから?人探しなんて面倒に決まってるじゃない?それとも何?あんたはお咲がどうなってもいいのね?」
山吹の眼光は次第に鋭く冷めてゆく。
「だから、」
バンッ!!
山吹が卓を叩きつけた音に反応して吉良と吉乃はビクッと肩を跳ねさせた。宗明はジロリと緩慢な動作で山吹と視線を交わした。その眼にはどんな感情も籠もってはおらず、ただただ虚ろに濁るばかり。山吹はこれ以上ないほどの冷たさを孕んだ瞳で宗明を射抜いた。
「面倒面倒って、やる前から投げてんじゃねーぞカス!」
「カっ…吹姐!」
常であれば即刻激昂し、正体を無くす程声を荒げる宗明を押さえ、吉乃は山吹に抗議の意を示した。しかし、山吹はフイと顔を背けてしまい、それ以上は聞く耳を持たない。更には、山吹に掴みかかっていくかと思われた宗明も反応が薄く、身じろぎ一つしない。
「宗明?」
「いや…いい。大丈夫だ、燐。ちょっと考えさせてくれないか?」
宗明は力無くそう言うとそれ以上何も語ろうとはしなかった。
四階待合所。
階段脇の荷物の間で黒髪の娘は膝を抱えている。ゆったりとした動作で上から下りてきた茶髪の若者は、娘と一言ふたこと言葉を交わすと荷物を退けてその隣に座した。
「なんか、今回の宗明いつもと違う。…ヤダよ、こんなの」
娘は膝を抱えたまま背中を丸めて顔を伏せた。
「まぁ静かでいいっちゃいいけどね!」
湿った空気を振り払うように若者は快活に笑う。
「ははっ、そうだね!…あの時、鼻壊さなきゃすぐ探せたのに」
娘はこの件が相当堪えているらしい。空元気すら出せない程に落ち込んでいた。
「燐のせいじゃないよ。それにこんな姿じゃ判るものも判らない。さっきから聴こうとしてるけど、音が遠すぎる」
「あんたたちまだ『そんな』格好してたの?そんなとこで」
うずくまる二人の前にやってきた山吹は呆れ顔で腕を組んだ。
「…姐さん」
「ああ、さっきのこと気にしてるの?大丈夫よ、宗明のこともお咲のこともなぁんにも心配ないわ」
「でも…」
自らに関係のないことまで背負い込みがちなのは娘の悪い癖である。
「あのねぇ、燐。大事な人が絡んでくると、みぃんな深刻になるものよ」
ねぇ、蘭?と満面の笑みで若者を見下ろした山吹を見た娘は、潤んだ双眸を隣に向けた。
「ホント?」
「…うん」
若者は一瞬身を引いてたじろいだが、ゆっくりと頷いた。そしてその間に赤い顔でで山吹を見上げることを忘れなかった。しかし、睨まれた山吹は涼しい笑顔で彼を見下ろすばかり。
「燐にも覚えがあるでしょう?」
山吹は若者から視線を外すと娘の前で膝を折った。娘はその言葉で若者の肩に顔を伏せる。
「せ…め、ふぇ…」
嗚咽に紛れて彼の人の名を呼ばわる娘をあやすよう、若者はそろりとその肩を抱き寄せて優しく叩いた。
「ほら、泣かないの。せっかくの可愛い顔が台無しだわ」
「か、かわいくないも゛っ」
からかうような声音に顔を上げると、娘はしゃがみこんだ山吹に鼻を摘まれ視線を捕らえられた。泣き濡れた真っ赤な眼(まなこ)で山吹を睨み付けたが、軽くいなされフッと微笑まれる。
「あんたが心配しなくてもお咲は大丈夫よ。それよりも自分たちの心配をしなさいな」
「わたしたち…?」
山吹の手に捕らえられ、不本意に鼻にかかった声で娘が問い返した。山吹は娘の鼻から手を離し、二人に嗤いかけた。
「もう犯人の目星は付いてるのかしら『泥棒さん』?」
「…あー」
「そ…っかぁ」
「早く戻ってらっしゃい。聞き込みに行くわよ」
「「うん」」
二人は素早く周囲に人影のないことを確認すると、階段の裏で自らにかけていた術を解いた。
が、
「え…?」
「なにこれ〜〜〜!?」
響いてきたのは戸惑う声と一際甲高い悲鳴。
「どうしたの?」
山吹が覗き込むと、そこには丈の足りない巫(かんなぎ)衣装に身を包んだ栗毛の、ピンと尖った三角耳を生やした若者と、ぶかぶかの着物を引っ掛けている幼女が腰を抜かして座っていた。
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081027 第2稿
背景画像 冬風素材店 様
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