山吹は荷物を抱えた若者と花束を抱えた娘を従えて山道を進む。うっすらと付く獣道を躊躇無く歩む山吹は呼気を全く乱すことなく後ろを振り返った。
「早くなさい。置いてくわよ」
二人はずっと下で足に絡み付く雑草や木の根、濡れて滑る山肌と格闘していた。
「元に戻っちゃダメー?」
息を切らしながら声を張り上げる吉乃に山吹は笑う。
「いいわよ」
「ホント!?」
「但し!荷物を置いてきたり汚したりしなかったらね」
「そんな!」
「姐さんのケチー!」
ブーブーと文句を垂れながら、それでも着実に二人は山吹に追いついた。
「もうすぐよ」
上向いた先には建物の屋根が見え始めていた。
『転 風唄〜拾弐〜』
軽い足取りの山吹と対照的な歩みの若者たちが、拓けたそこに辿り着いたのはこれより半刻程前のことであった。
「そんな感じで十分よ。ありがとう」
山吹から制止の声が掛かったので、吉良と吉乃は手を止めて立ち上がった。二人の足元には朽ちた何も書かれていない卒塔婆と、割れた墓石。仮にも寺にあると言うのに随分と荒れ果て、古めかしく感じられた。山吹は吉乃の手から花を受け取ると、割れた墓前にぞんざいにそれを落とし手向けた。
「誰のお墓?」
吉乃が尋ねた。
「私のお墓よ」
二人に背を向け、合掌する山吹の表情は判らない。
「でも、吹姐さんはここに居るじゃない」
「そうね。だけどここには私が居るのよ」
「解らないわ」
「そうね。私も判らないわ」
立ち上がり振り返り、山吹は笑った。
「さぁ、鳶斎(えんさい)師匠(せんせい)。教えて頂けます?」
山吹は二人の更に奥に呼びかけるように声を張った。それに合わせて吉乃と吉良は後ろを振り返った。二人の十歩程後ろにはくたびれた僧衣の老爺が立っていた。
外観こそ廃墟の様な有様の典型的な荒れ寺状態であったが、屋内は床も柱も磨き上げられ清潔感に溢れていた。到底老人一人ではこなせないであろう行き届いた手入れに多少の違和感を拭い去れなかった。おまけに複数の人間が数時間前まで居たであろう痕跡はあるのに、今は住職の気配しか感じられない。きょろきょろと周囲を観察しながら住職についていくと、本堂の前で彼は立ち止まった。
「こちらへ」
本堂は人数に対しての空間面積が広すぎるため室内特有の薄暗さに加え、そら寒くすらあると吉良と吉乃は感じていた。因みに山吹は茶を淹れると言って台所へ捌けてしまい、初対面の住職と共に残された二人は大変気まずい思いをした。
「…お前たちは『あの』安倍の陰陽寮の者かね?」
唐突に住職が口を開いた。見た目から想像していたよりずっと若く張りのある声をしていた。本当は五十代後半くらいなのかも知れない。
「『あの』安倍とは何のことを言っているのか判りませんが、僕達は陰陽寮ではありません」
「陰陽寮なんて知らないわ」
「師匠、その子たちには関係のないことよ」
湯気立つ湯呑みを盆に載せた山吹が現れて一つずつそれぞれに配っていく。
「では一体何者だ?」
前に置かれた湯呑みを手に取り、鳶斎は目を伏せた。
「安倍の名取の従者よ」
「…名取の従者は鬼ではなかったか」
「この子たちは特別。名取が特殊なだけよ」
吉良と吉乃に湯呑みを渡しながら、ねぇ?、と同意を求めた。
「あの…姐さん?」
吉乃は全く話に付いて行けず、目をしばたたいて眉を寄せた。
「そうね。忘れちゃいないわ。師匠、時間がないから手短に答えて」
山吹は鳶斎に向き直った。
「最近の町の様子、何か奇妙しなことはなかったかしら?」
「奇妙しなこととな?」
ことり。ゆったりとした仕草で鳶斎は湯呑みを置いた。
「ええ。例えば、『妖が盗みを働いてる』とか『不審な妖気がある』とか」
にっこりと笑い、ひとつ、ふたつ、と指を立てる山吹を前にした鳶斎は、訝しげに目を眇めた。
「なんだ?心当たりでもあるような言い種だな」
「別に?可能性の話よ」
「それで?報酬は」
それまで鈍いばかりだった鳶斎の眼光が鋭くなって、吉良と吉乃はギクッと背筋を正した。
「吉良、それを」
「えっ、あ、はい!」
山吹は全く動じることなく吉良に指示を出す。唐突に呼ばれて驚いた声を出したが、すぐに包みのことだと理解した吉良は、鳶斎に荷物を差し出した。鳶斎は差し出された包みを引き寄せ、風呂敷を解いた。中から現れた桐の箱の蓋を開ける頃には山吹の後ろの二人は立ち上がって興味津々に箱の中身を覗いていた。その間山吹の余裕の笑顔は揺らがない。鳶斎が箱の中の最中を避けると、そこには小判が三十枚。
「えっ…うそ!」
「まさか、姐さんどうやって…」
「それで足りるかしら?」
表情こそ微動だにしないものの、山吹の纏う空気は暗黒色である。有無を言わせぬ強さで鳶斎を見据える。対する鳶斎も品定めするような目つきで山吹を睨め付けた。
暫し見つめ合うこと数秒。
折れたのは鳶斎であった。
「…特に大きな妖気は三つ。一つは町の北東。二つは西寄りの中央付近。また、一つは数年前からこの町にあるが、二つはここへ来て日が浅い。中でも一つは純粋で強大な力だが、二つは粗野で狂暴だ。そしてそれらはどれも弾ける寸前で、どれか一つでも弾けてしまえば釣られて暴走するだろう。どれも皆状態は不安定だ」
「それぞれの動きはどうなの?」
余りに抽象的且つ端的に過ぎる情報を飲み込めず、吉良と吉乃はあたふたとしていたが山吹は構わず情報を求めた。
「一つは常に忙(せわ)しく、一つは穏やかだ。もう一つは微動だにせず、純度が高まっているようだな」
「そう…。他に変わったことは?」
腕を組み、顎に手をあてて山吹は先を促した。
「知りたければあと十両寄越すんだな」
ニヤリと歪に微笑んだ鳶斎に、山吹は肩を竦めた。
「あら残念」
しかし、山吹は言葉とは裏腹に全く残念な様子には見えなかった。
「…お前たちは、何者だ?」
鳶斎は深く息を吐くと、今度は後ろの若者二人に目を向けた。吉乃はビクリと肩を揺らして答える。
「私たちは安倍の従者です」
「そう言うことではない。…人ではないのか?」
鋭い眼光で見据えられて吉乃はたじろいだ。隣に座る吉良の袖を掴む。
「…はっ!だったらどうだと言うのです?経を上げて御祓いでもしますか?」
吉良は吉乃を宥めるように、その背に腕を回すと敵意を隠そうともせずに鳶斎を睨み付ける。
「っ、吉良!」
殺気に気付いて吉乃は吉良に制止をかけた。
「なに。案ずることはない。何かしようとは思っておらん。安倍が人であれ妖であれ式を用うことは存じておるし、お前たちが何事かを出来るような者でないこともわかる」
鳶斎はふわりと表情を崩した。その変化の仕方はどことなく山吹のそれに似ていた。
「…」
「お前たちのような若い者が何ゆえにそのような所で従者などしているのか疑問に思ったのでな」
その一転して穏やかな雰囲気に絆されてか、吉良はしかし一切警戒は解かずに静かに口を開いた。
「…僕たちは生まれる筈では無かったのです。今、ここに在ることが出来るのも安倍の温情に依らなければ成らず、母はその見返りに僕たちを安倍の僕として差し出した、と聞いております」
「差し出した?」
「母は僕たちを産むとすぐ亡くなったそうです」
「ああ…そうであったか」
それは済まなかった。そう言って鳶斎は二人から視線を外した。
「師匠、話はお終いかしら?」
全くの外野と化していた山吹が鳶斎に向き直る。対する鳶斎はそんな山吹をチラと見るなりあからさまに厭そうな顔をした。
「ああ」
その鳶斎には先程の柔らかさなど微塵も感じられなかった。
「それじゃあお暇します。お騒がせしてごめんなさい。機会が合ったらまた会いましょう?」
「儂は二度と御免だ」
渋い顔をする鳶斎に山吹は笑う。
「あら、つれない」
「用が済んだのなら去るがいい。厭な風が出てきた」
言われて外に目を向ければ、暮れ方の薄闇に木々が鳴っていた。雲が出てきたのか、西日の橙光は見えない。
「子らの行く先に幸多かれと、願ってやろう」
固い声でそう言うと鳶斎は立ち上がり、入って来たのとは逆方向に進む。奥に行くらしい。
「「…ありがとうございます」」
鳶斎は戸惑ったようにその背に礼を述べた吉良と吉乃の声に一瞬立ち止まった。
「ではさらばだ」
「有難う御座います。義父上(ちちうえ)」
にっこりと微笑んだ山吹に一同は絶句した。鳶斎はギクリと肩を震わし、吉良と吉乃は温度差の有りすぎる二人を交互に見遣り、更に混乱した。
「なっ、!?」
「えっ…?」
はあぁ…、と大きな溜息を吐いて鳶斎は視線だけ山吹に向けた。
「…去れ」
脱力し、そう言い残して奥へと去った鳶斎からは先の柔らかさの片鱗が滲み出ていた。吉良と吉乃は互いに顔を見合わせ、そして山吹に目を向けた。
「ん?なぁに?」
「何じゃないわよ、吹姐さん」
「ちちうえって…」
混乱して言葉の続きが紡げない二人を前に山吹は笑う。
「ふふっ。面白いわね、あんたたち」
「笑い事じゃないわ」
「はいはい、言いたいことは解るわよ。師匠も照れ屋さんだからねぇ。丸三年には少し足りない間、育てて貰ったの。あの人、本当は子供とか動物とか大好きなのよ。だからほら、子供たちはみーんな隠れてたってわけ」
クスクスと肩を震わし、鳶斎の人柄を説明する山吹は少なからず愉しそうである。
「へー…姐さんて江戸の人だったんだ」
「違うわよ」
「「へっ?」」
「さぁ、この話はおしまいよ。いいことを教えて貰ったわ。早く帰らなきゃ」
鼻歌でも歌いそうな程軽い足取りで、山吹は席を立った。
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080916 第1稿
背景画像 境界線シンドローム 様
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