『承 二人〜〜』


「―――、っていうことであたしの勝ちな訳よ。お解り?」


 一通りの説明を終えて、右半身を卓に凭れるように座していた山吹は右頬を手の甲に宛がい小首を傾げると、ひらりと左腕を開いてみせた。


「おわかり?」

「おかわり?」


山吹の向かいに座す双子は真似をしてきゃらきゃらと笑いながら茶々を入れる。蘭に至っては捻りまで加えてしまう程の余裕すらある。


「だらぁーっ!ちくしょー!」


宗明はバタッと卓に突っ伏して叫んだ。


「宗ちゃん…」

「良かったわね。これであんたの無能が証明されたわ」

「無能」

「無能」


咲の慰めを遮って、三人は更に宗明を追い詰める。それに比例して宗明はどんどん卓に沈んでいく。


「あの…吹ちゃん…」

「咲、済まない。俺が、無能なばっかりに…」


終いにはぐずぐずと鼻を啜り出す始末。


「そんなことっ…みんっ」

「っなことあってたまるかぁ!」


流石に咲も宗明を励ますよりも他の三人を窘めようと口を開いた。が、それを遮りガバッと身を起こした宗明は勢いに任せて三人に食ってかかる。


「大体今まで俺が幾つ事件を解決してきたと思ってる!?」

「じゃあ僕らがどれだけ手を貸してやったと思ってんのさ?」


 宗明の言い分をものともせず、蘭は言い返した。確かに宗明が完全な独力で解決した事件は余りにも少ない。殆ど零回と言って差し支えない程である。しかしながら宗明から双子に助力を求めた回数もそれ程ある訳ではなく、自然に協力し合ってやってきたことを引き合いに出されても正直なところ困る。


「ぁあ?誰も頼んじゃいねぇよ」

「あーっそう!じゃあ僕らは手ぇ出さないから好きにしなよ!ね、燐」


蘭のむしろ子供の我が儘な屁理屈のようなそれに、宗明と山吹は内心呆れて息を吐く。


「ぇえ?うん」


燐も似たようなことを思ったのだろう。蘭を否定こそしなかったが煮え切らない返事をした。
そんなやり取りの間、蘭と宗明交互に目を向けながら沈黙を守っていた咲が、思い出したように懐から文を取り出した。


「あ…ねぇ、宗ちゃん」

「んん?」

「これ、義祖父さまから」


文を受け取りつつ目をぐるりと回す宗明。宛名はない。


「……………ああ!」


暫く考えて自分宛てのものだと思い出した。


「忘れてるーぅ」

「物忘れー」


からかうように双子は声を上げた。


「るっせー」


口を尖らせながら宗明は文を開いていく。端から目を通して、何度も同じところを読み返す。文面から全てを汲み取り、事態を理解すること数秒。更にそこから求められ、すべきことを把握するまでに数瞬を要した。
宗明は一度視界を封じて頭を冷静に保つ。

空白。


「…なんだと?」


文から目を上げて問う。山吹は頭を振って答えた。


「どうもこうもないわ。書いてある通りよ」


そう言われて再び文面に目を落とす。



《――犬神現れたり。お咲は貴様に預ける。以上。――》



本当に以上だった。

 色気も何もあったものではない。香が焚きしめてあるわけでも、透かしや彫り抜きが施してあるわけでもない、まっさらな文紙の真ん中にたったそれだけ。行数にして三行の短い文。覚え書きと言っても過言ではない内容である。二尺もの長さの吉野紙に対して、墨の付いている部分など紙の一割にも満たない。はっきり言って紙の無駄である。これでは簡潔で良いどころか必要な詳細も省いてあるので何もわからない。風雅を好む京都人(みやこびと)たる祖父とは思えぬ色気の無さである。否、これがかえって雅を究めた形なのかも知れない。むしろそう思える程潔かった。


「ふん…。で?そいつの容姿は?」


文机を運んで来ながら宗明は事務的に質問を始めた。先程とは種類の違う眼光は、これこそが彼の本職であることを知らしめている。


「見てないわ。咲を庇うので精一杯よ」

「被害は?燐」

「はい」


宗明は燐に視線で合図を送ると、移動した文机に硯と筆など書道具を設置して先程の空白だらけの文を切り刻んだ。より正鵠を期すならば、それは切り刻むというよりも墨の付いていない部分を短冊状に切り分けたと言うべきだろう。


「庵を壊されたわ。それこそ全壊」


宗明は切り分けた短冊を幾つかの束に分け、そのうちの一山を更に縦長に折り、刀子で細工を施していく。再び開いたそれは見事に人形(ひとかた)を模していた。


「他には?」


次に宗明は燐に持って来させた瓶(かめ)の榊酒を硯に注ぎ、それで墨を擦った。


「いいえ。庵だけだったわ」

「誰かの恨みを買った覚えは?」

「さぁ?あたしにそんな気無くても相手が思うことは判らないわよ」

「ふん。心当たりはないんだな」

「有り体に言えばね」

「そうか……………」


誰も何も言わない。唯、宗明の墨を擦る音だけが響いた。その宗明もやや顔を伏せて瞑想でもするかのように軽く目を閉じている。


「………………ダメだな。完全に隠れてやがる」


 暫くの後、手を止めた宗明はコトリと墨を置いた。どうやら犬神の気配を探っていたらしい。宗明はその手に筆を取ると、墨を含ませ人形の上を滑らせていく。頭部は除いて胴体の部分にだけ祝詞と陰陽の呪いを相乗的に組み合わせた呪(しゅ)を記した人形が三枚出来た。宗明はその空けた頭部それぞれに名前を一つずつ書き加えていく。見る間に燐、蘭、そして咲の名が入った。そして咲の人形にだけ更に呪を書き足すと、懐から扇子を取り出しパタパタと扇いだ。


「さて、どうしたものだかな…」


時折乾き具合を確かめながら宗明は呟いた。


「何が?」


それを聞いた咲はすかさず問い返した。


「何って、お前を守る算段を考えてるんだよ。燐、皿を」

「はい」

「うちを?」


宗明は頭を掻きながらそれに答え、再び燐に持たせた白陶の円皿に瓶の榊酒を注いだ。


「依頼だからな。…いや、依頼じゃないか。お前は身内だし」

「「「「…………」」」」


 当然といった様子でそう言いつつ皿に人形を浮かべる宗明を、双子と山吹は奇妙なものを見るような面持ちで見詰めた。そう、例えるならば犬に紐を繋いで散歩している猿を見るような面持ちで。そして咲は目を見開いて驚愕の表情を浮かべ、僅かに頬を染めて口元を押さえた。


「まあ、そういうことだ」


 全く視線を皿から上げない宗明は、酒浸しの人形を突っついて全体に染み込ませている。書いたばかりの文字は頭部以外が少しずつ滲み、溶け出し、絡みつき、その痕跡を残さず人形は灰色に変貌した。その間にも宗明が風呂敷大の黒い手巾三枚を新たに榊酒で湿らせると、周囲に芳しい酒精が広がった。そして頃合いを見計らうと人形を引き上げ、適当な大きさに折った手巾にそれを慎重に一枚ずつ置いた。更に宗明は再びその手に筆を取り、たっぷりと染み込ませた墨を人形の中心、心臓の位置に一滴落とした。すると人形を灰色に染めた墨が胸の点に集まり、頭部の名前諸とも消えて見えなくなった。宗明はそれを確認すると、人形を包むように手巾を折り、それを手早く油紙で包み、更に絹の紗(うすもの)で覆った。


「へぇ…いい仕事してんのね」


現役ではないとはいえ、多少その道に身を置いていた山吹は宗明の手際に何か感じるものがあったらしい。感心したふうに宗明を見遣った。


「まあな。守りに関しては出し惜しみしないことにしてる」

「ふぅん。何故?」

「…後悔しないように、だな」

「…そ。撤回するわ。仕事に関しても無能だっていうのは」

「そりゃあどうも」


説明しながら宗明は燐と蘭の人形の入った包みをそれぞれに手渡し、似たような包みを二人から受け取った。そして同じように咲にも包みを差し出した。


「これを肌身離さず持ってろよ。そしたらお前の位置は犬神の奴にゃバレない」

「…」


包みをなかなか受け取ろうとしない咲。


「咲?」

「ぁ、え?」

「どうした?お前の分だぞ」

「あ…ぅ、ん。おおきに」


慌てて手を出した咲に包みを渡しながら宗明は訝しんだ。


「お前…、調子悪いならもう休め。顔赤いぞ」


そう言いながら首を傾げて下から咲の顔の覗き込もうとする。


「具合は、悪ないよ…」


咲は顔を背けて目を伏せた。


「なら何だ?」

(ちょっと!それ言わせるの!?あの馬鹿!)


更に追及する宗明に山吹は内心気が気でない。思わず身を乗り出して、双子に意見を求めた。


((うん。だって馬鹿(そうめい)だし))


答えた双子は総てを諦めたような表情で宗明から目を逸らしている。そのあんまりな様子に山吹は肝を冷やしながら宗明を睨み付けた。一方の宗明は得心がいったように手を打った。


「ああ!これか?」

「「「「え?」」」」


何のことかと四人は宗明を見る。


「これは酒だから効くんだよ。こいつらも始めは酔って大変だった」

「「「「………え?」」」」

「ん?何だ?違ったか?」


山吹はこの宗明の大いなる勘違いをまたとない好機とみなし、即座に攻撃に移った。



初戦、山吹対宗明。



「ちっ…違わないわよねぇ?そう!そうなの!この子ったらそういうのは免疫無いから!」

「…なんでお前が答えるんだ?」


焦ってしどろもどろな山吹に対して、至極尤もな意見を返す宗明。
山吹、劣勢。


「…そりゃあ、だって酔って大変だからよ!すぐ記憶飛ばしちゃうし」

「へぇ」

「そうなんやぁ」


思わぬところからまさかの自殺点。


「え゛?」

「何で咲まで驚いてんだ?」


思わず凍りついた山吹。
初戦、黒星。



次戦、燐対宗明。



「だっ…てお咲ちゃん記憶無いんでしょ?」


多少迷いつつも着実に宗明を追い込む燐。


「そうだな」

「だったら吹姐が説明しても奇妙しくないでしょ?」

「でもそんな必死になるこたぁねぇだろ」


反撃を繰り出した宗明。燐は上手く切り返すことが出来ない。


「う………そうだけど」

「んだぁ?違う理由なら言ってみろ」


逆ギレ気味にまくし立てる宗明。


「〜〜〜〜〜〜」


言い負かされた燐。何の言葉も出てこない。
次戦、黒星。



緒戦、蘭対宗明。



「宗明さぁ…」


目を伏せ、深く息を吐き出しながら蘭は口を開いた。


「(そんなことも判らないなんて)馬鹿じゃないの」


切れ味鋭い蘭の必殺技が炸裂した。


「…………………まあ、すぐ慣れるから我慢して持ってろよ。別に懐じゃなくても構わねぇから、絶っっ対に、無くしたりするなよ」


完全に的の中心を射抜いたと思われた蘭の攻撃も受け流し(多少の動揺や逡巡はあったが)、咲に向き直り注意を促した。極々真っ当な大人の対応である。
緒戦、黒星。
結果、三戦全敗。しかし、話題を逸らすという目標は果たすことが出来たので最終的には良しとしてもよいだろう。全くの怪我の巧妙であるので、納得など出来よう筈もないが。


「私お風呂入ってくる」


なんとなく気まずい空気が五人を取り巻くと同時に燐は勢い良く立ち上がった。


「あ、ならうちも」

「僕も行く」


それに反応して咲と蘭も立ち上がった。一触即発の空気は霧散し、元のそれなりに穏やかな雰囲気に戻った。


「おお、そしたら子供(ガキ)はさっさと寝ちまえ」

「「言われなくてもそうするよ!/もん!」」

「宗ちゃんうちは?」


首を傾げて咲が問う。


「はぁ?お前も子供だろ?」


宗明は呆れて苦笑混じりに答えた。


「あんたもね」


そこに山吹が横槍を入れた。


「ジジイに比べりゃあな」

「…いい度胸ね」


不穏な目つきで関節を鳴らす山吹を後目に、けらけらと笑いながら双子と咲は部屋を出て行った。






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080603 第1稿

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