「は〜な〜せ〜!!」
「だ〜し〜て〜!!」
わんわんと響く高音に同心の喜八は耳を塞いだ。
「おいお前!この小僧を黙らせろ!」
「なんでもいいから静かにさせて頂戴!」
双子の奏でる騒音に苦情のある者まで喚き出す始末。
(いい加減にしてくれ…!)
しかし喜八がいくら祈ったところで抗議の大合唱は止まない。
「…だから子供を預かるのは厭だったんだ…!」
成り行き看守を任された哀れな同心の呟きは、投獄を待つ者たちの喚声に紛れて誰の耳にも届かなかった。
『承 二人〜陸〜』
それは遡ること半刻前。
「ったい!おじさん引っ張らないでってば」
やたらと響く高い声が聞こえて、詰めていた数人の同心は顔を見合わせた。
「ちゃんと歩いてんだから放せよ!」
「喧しい!放したら逃げるだろうが!」
町全体に届くのではないかと思わせる程の怒声でもって言い合いをする三人は、どうやらここ―錦町番屋―に向かっているらしい。
「「当っ然・でしょ!!/だろ!!」」
「尚更放せる訳ないだろう!!」
「やぁーだぁ!」
「放せ…っ!!」
叫ぶ声は番屋の前で止まった。
「ほぉら、着いたぞ!」
「きゃあっ!?」
「ぅわあっ!!」
そして飛び込んでくる二人の子供と大手老舗小物問屋の番頭(確か伊崎与一と言ったか)。なかなかに上等な着物の子供が土間に転がり、番頭が入り口で腕組みしているというのは奇妙な図だ。
「さぁ、洗いざらい話して貰おうか」
「だーかーらー、やってないし知らないって言ってるだろ!?」
「ええい、口答えの多い童め!言いたくなるまで牢屋にでも入れて貰え!!」
そして番頭はキッと喜八たちを見遣った。
「あんたらも暢気に見てないでなんとか言ってくれ!え?同心さんよ!」
突然槍玉に上げられた喜八たちは、(常のことだが)困ったように顔を見合わせ、最年長の門次は頭を掻きながらしぶしぶ番頭に近寄った。
「ええと…またですかい?伊崎の旦那」
「ええ!どこかの誰かさんに頼むよりはずうっと信用できますからね」
「…なら、この童共は我々で引き受けますんで。旦那は帰って頂いて構いやせんぜ」
「ああ。あんたらがこいつらをちゃんと牢屋にぶち込んだら帰りますよ」
難癖を付けてはなかなか帰ろうとしない伊崎に一同は内心溜息を吐く。
「…旦那ぁ、(いつも言ってますが)ここじゃ縛っておくだけしか出来ねぇんですがねぇ」
「餓鬼だからってんで何のお咎めもなく放されたりしたら、たまったもんじゃありませんから。こちとら貴重な時間を割いてますんで」
門次の小さな呟きにも嫌味っぽく答えるあたり、相当恨み辛みがあるようだ。新参者の喜八はよく知らないのだが、最近多発している盗難事件は全てこの大店『巻野屋』の近辺で起きており、中でも一番の被害者は巻野屋だと言うことである。
「さいですか…」
「さぁ、早くしてくださいよ」
伊崎に促されると門次は再び溜め息を吐いて身を翻した。そして喜八が背後に控えている娘の前にしゃがみこむとゆっくりと口を開いた。
「嬢ちゃん、お前さんはやっちゃあいけねぇことをしちまったなぁ?」
「そっ…!そんなことしてないもん!!」
「そうだ!!誰かがぶつかって来たんだ!大体僕たちはおじさんの店になんて行ってないよ!」
「五月蝿い!静かにしていろ!」
再び騒音を撒き散らしながら言い合いを始めた両者。喜八がもう一人の子供の背後に控える晋吉に目配せをすると、もう一人は首を振って否定の意を示した。
(そうだよなぁ)
しかしどちらも新入りであるので、異を唱えることはしない。お上の言葉は絶対なのである。そして、そうこうしているうちに決着がついたらしい。
「喜八ぃ。縄」
へぇっ!と返事をして喜八は娘の腕を後ろ手に縛った。
「やだっ!なんで!?」
娘は身じろぎして抵抗したが、喜八は職務を全うせざるを得なかった。
「悪りぃな、嬢ちゃん」
徐々に勢いを失っていく娘の頭を門次が軽く撫でると、今度は童が目の色を変えて一層騒いだ。
「燐に触んな!!」
半ば狂気じみた童の怒り方に怯んだ晋吉がその手を放すと、童の振り回した拳が晋吉の鼻梁に見事に命中した。当たりどころが悪かったのか晋吉の体力の無さが原因なのかはわからないが、奴はそのままのけぞって昏倒してしまった。
「晋吉!」
隣にいた喜八は驚いて叫んだ。自由になった童は門次に殴りかかる。
「こんのぉ…!」
しかし、童の拳が門次の体を打つことはなかった。門次が振りかぶった腕を捕らえて縛り上げたのだ。そしてそのまま上半身をぐるぐると拘束し、童は完全に身動きを封じられたのだった。
「ちょ…解け!」
「悪りぃな坊主、でもお前さんもいけねぇんだぜ?伊崎の旦那ぁ、これでいいでしょうかねぇ?」
門次は童と目線を合わせた後、後ろを振り返って伊崎に呼びかけた。伊崎は明らかに見下したように頼みますよと言うと店に帰って行った。その背中をしばらく見送っていると、門次があぁと呟き一際深く溜息を吐いた。
「…さぁて、喜八」
「へい」
「お前、こいつらちょっと『部屋』に入れとけ」
「…へい。門次さんどこかに行かれるんで?」
常なら使われることのない拘束牢を指定されて訝しく思いながら喜八は頷いた。
「あぁ。伊崎の旦那に詳しい話を聞いてねぇからな。あの人のことだから長くなるかも知れねぇが…まぁなんとかなるだろ」
「へい。かしこまりやした」
「そんじゃあ…」
「あ!門次さん」
喜八が門次を呼び止めると、門次は首だけを後ろに回して喜八に目を向けた。
「何でい?」
「晋吉どうしやす?」
門次は奥の方で伸びている晋吉を見遣った。喜八の方からは逆光になっていて門次がどんな表情をしているのかを窺い知ることは出来なかった。しかし、その目が冷たい色をしているであろうことは予想が付いていた。
「…………放っとけ」
「へい」
「いってくらぁ」
「へい。お気をつけて」
そうして二人の子供を捕らえた後に待つ悲劇を、見放されてしまった同僚を布団に寝かせてやろうなどと考えていた喜八は、まだ、知らなかった。
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080501 第2稿 修正
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