『起 咲〜〜』





「ここよ」


三人を案内した咲は襖を開けてくるりと振り返った。


「すっげー!」

「ひっろーい!」


双子は先程の気まずさなど忘れて、歓声を上げながら部屋に飛び込んだ。手鞠屋の最上階、五階の天守が彼女に宛がわれた部屋であった。最上階だけあって外の眺めは申し分ない。城下どころか海まで、天気さえ良ければ富士山も見える正に絶景だ。一方の内装はといえば番台のある賑やかしい一階とは違い、白と黒を基調とした落ち着いた雰囲気に包まれている。床の総面積にして軽く五十畳はありそうだ。
双子はバタバタと騒がしく隣接する襖を開けて回る。


「お咲ちゃんここに泊まるの!?」


最奥まで襖を開け、興奮した蘭が瞳を輝かせて鼻息荒く叫び、咲は苦笑した。


「ホンマはこんなええとこの筈じゃなかったんやけどねぇ」


燐は咲が不本意ながらもここに泊まらざるを得なくなったことを思い出した。


「何でここに泊まることになったの?」

「…んー、何て言うか…用意してあったのよ、ここ」


多少切り出し辛そうに咲が答える。奥の間の双子は小走りに戻ってくる。


「用意して」

「あった?」


咲は笑顔を作って頷いてみせたが、それはどこかぎこちない。それには流石に双子も咲の異変に気が付いた。


「ごめんなさい。もう他のお宿に決めとったんでしょうに…」

「お咲ちゃん?」

「どうかした?」

「いいえぇ。なぁんにも…」


笑みを深めて否定する様子にますます不審感を覚えるが、双子にはその理由が分からない。そんな中、沈黙を守ってきた宗明が口を開いた。


「咲。お前、俺に嘘『吐けた』こと、今までに何度あった?」

「!」


咲は突如として蒼褪め、目を見開き、まるで金縛りにあっているかのように硬直した。複雑な笑顔を剥ぎ取られ、俯いた咲は固く口を閉ざしている。対峙して動かない二人を見上げ、燐は控えめに尋ねる。


「宗明?」


しかし彼は答えることなく、問い質すような視線を眼前の女に向けるばかり。沈黙が四人を厚く覆っている。


(ああ、もう…ムリ!!)


重い空気に耐えかねて、燐は蘭の後衿を掴んで勢いよく部屋を出た。


「外で遊んでくる!行くわよ、蘭!」

「あ、うん。…夜になったら帰るから」

「…あぁ」

「あんまり遅くならへんようにしいねぇ」

「「はぁーい!!」」


木霊する返事だけを残し、双子は嵐の如く階段を駆け下りた。





「これで…良かったのよね?」


駆け下りた勢いのまま宿を飛び出した燐は立ち止まり、蘭に問う。


「多分ね。まあ、いずれにしても僕らは邪魔だろうから」


蘭は遠くを見つめて答えた。


「私、お咲ちゃんには幸せになってほしいの」


燐の声は切実な色を滲ませている。蘭はただ肯くのみであった。


「うん」

「あの娘に、あんな「能力(ちから)」必要ないのに」

「うん」

「宗明なら、あの娘を幸せに出来るんでしょう?」

「うん」

「あの人の力があれば…」

「うん」

「どうしたのかなぁ?お咲ちゃん」

「…」

「大した事じゃないといいけど」

「うん」




ずっと泣いていた。くる日もくる日も、飽きることなく泣き続けた。しかし、どれだけ泣いても涙が涸れることはなかった。そうして幾日、幾月、幾年が過ぎたが、それでも思い出は鮮やかに蘇り、涙が止まることはなかった。

ああ、あの人はどうしてこのような躯にしてまで私たちを生かしたのだろうか。

確かに命約はした。しかし、彼はそんな事に拘るような男ではなかった筈だ。


「ミてミて!セーメー、おハナキレイでしょ?」


抱え切れない程大量の花を抱えて、従兄弟にして養父、或いは主人に駆け寄る。花束が大き過ぎて本当に前など見えないのだが、彼が笑っていることは分かった。


「ああ、本当だ。燐によく似合うよ」


彼はそう言うと、至って穏やかに私の頭を撫でた。


「チガうの!セーメーにあげるの!」

「私にかい?嬉しいな」


女性にさえ見えるような美貌を、柔らかな人懐こい笑顔に変えて喜んでくれる彼を見るのが好きだった。


「うふふ。ねーねーゼンキちゃん、セーメーウレしいって」


褒められたのが嬉しくて、彼の式神ににへらと笑いかける。すると式神は小舅のようにああだこうだと難癖を付け始めた。


「コラ燐、晴明様とお呼びしろと何度言ったら分かるんだ!お前たちの恩人なのだぞ!」


しかしそれは言葉遊びの延長のようなもので、私も彼も式神も定着してしまった形に則っているだけである。


「シってるもん!セーメー、ありがとう!」

「どういたしまして。はて前鬼、後鬼と蘭は一体どこまで行ったのだろうか?」


思い出したように彼が問うと、式神は念で片割れに問うた。高位の妖である彼らは独自の通信網を持っており、離れた場所でもお互いの様子を伝えることが出来るらしい。私たちは位が高いわけでも妖でもないので、少し離れただけでも相手が何を見ているのかすら判らない。これでは式神たちを出し抜いて、彼に悪戯することも出来ないので、いつも彼らを羨ましく思う。


「はっ!暫しお待ちを…あぁ、ここより北へ一里程の場所に居るようですが?」

「そうか…」

「呼び戻しますか?」

「…いや、」


何事かを考えるようにした彼を見て、私は小さく訊ねた。


「セーメー、もうダイジョウブなの?」


私の問いに答えようと彼は口を開いたが、機先を制したのは彼の僕であった。


「なりません!こんな野ざらしの場所ですがもう少々お休み下さい!今無理を為さっても御身体に障るばかりでございます!」


式神は傷を負った己が主を制止しようと躍起になっているが、当の彼は既に聞き飽きたとでも言うように眉根を寄せた。


「今更それ程変わらないと思うのだが」

「怖れながら晴明様…」

式神はネチネチと己の主に説教を垂れ始めた。彼は他人の心配はするのだが、自分のことは蔑ろにする傾向があるのだ。それ自体は全く以って迎合するべき性格であるのだが、彼の自分を顧みないという性質は些か特出しているようで、時に命さえ落としかねない危険性を孕んでいる。しかも、考えるよりも先に体が動くというような人間であるので、全ては無意識下で行われており、野性の感覚で物事を捉えているような節もある。そのため、これまでに生死を賭けるような危ない橋を渡ったことなど数知れない。従って、彼の忠実なる僕は必要以上にその身を案じるようになり、さながら母親の如くその行動を制限しようとするのだが、それが本能に従っているような彼の機嫌を損ねる原因となることはそう珍しいことではない。
このときも先だって幼児を庇い妖の毒牙を受けたばかりで、定期的に小休止を取り治療をしながらの行程に彼がうんざりしていたことは幼い私や蘭も気が付いていた。


「セーメー!ムこうにヤクソウがイッパイアるよー!」


助け舟、という訳ではないが式神の話の腰を折る。これ以上彼の機嫌を損ねるのは賢明ではなかったし、事実彼には薬草が必要だった。手当てのためのそれはもう殆ど尽きかけていたのだ。


「燐、行っておいで!!」


従って彼の自己管理意識と、式神の主人を最優先させるという意識の一致により、小休止を延長させることとなった。

しかし、それがいけなかった。






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080118 第2稿(加筆修正)


背景画像 戦場に猫 様



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