『起 〜壱〜』





「「うわぁ…」」


勢いよく宿に飛び込んだ二人は思わず声を失った。そこには外の暖簾と同じく極彩色の空間が広がっていた。真っ赤な絨毯、飴色に磨き上げられた長椅子(ソファ)、琥珀色の光を落とす壁掛灯(ランプ)、色とりどりの填め硝子。流石は外国商人も泊まるという最新設備の旅籠というだけのことはある。


「はぁー…」

「すごー…ぃ゛っ」


スパーンっ!!
感嘆の溜息を漏らす双子の頭に鉄拳が飛んだ。


「ったぁーい!!」

「っにすんのさ!!」


叩かれた箇所を押さえながら双子が振り返った。睨んだ先では平手を胸の前で交差した宗明が二人を見下ろしていた。


「何すんだじゃねーよ!オラ、帰るぞ」


やや怒声混じりにそう言い放つと、双子の首根っこを捕まえて店を出ようと回れ右をした。しかしそのとき、三人のよく耳慣れた声が響いた。


「あらぁ?もしかして、宗(そう)ちゃん?」


刹那、ビクリと宗明が硬直する。その間を突いて宗明の手を逃れた双子が声を振り返る。


「やっぱりー。おっきい声がしたやさかい、そやないかと思たんよぉ」


声の主はにこりと微笑み、三人に歩み寄ってくる。


「「お咲ちゃん!!」」


その姿を認めた双子は、未だ少女の域を脱しない貴婦人――松島咲に飛びついた。にこやかに二人を抱きとめる咲は宗明の許婚である。


「わぁ、お咲ちゃんがどうしてここに?」

「うふふ。義祖父さまに頼まれて文をね、届けに来たの」

「あんのクソジジイ…」


宗明は咲の言葉を聞き、明後日の方向に小さく毒吐いた。咲は極めて上品に笑うばかりだ。彼女の生家は京都でも有数の大名家である。運送業を生業としており、幕府とのパイプ役も担っている。


「ええのよ。怒らへんで。丁度うちも用事があったからそのついでに預かったんやし」

「用事?」

「そ。燐ちゃんたちに届け物」

「私たちに?」

「ええ、そろそろなくなるんやないかと思て。榊の御酒」

「「あ!」」


双子は互いに顔を見合わせた。思ってもみなかった届け物に素直に驚きつつ、確かに残りが少ないということも思い出した。


「もうお家に帰ってくる頃やとも思ったんそやけども万が一ってこともあるから、一瓶だけ、ね」


咲は悪戯っぽく片目を瞑ってみせた。感激した双子は更に咲に抱きついたが、宗明はそんな彼女に対して厳しい態度を崩さない。


「んなモン遣いを寄越せば済むだろう?何だってわざわざお前が…」

「だって宗ちゃん、帰ってきても顔も見せへんと行ってしまうんやあらへんのん。結構寂しいんよ?それ」


宗明の言葉を遮って、先は心底寂しいと示すように大袈裟に肩を竦めて困り顔をした。それに便乗した双子は嬉々として茶々を入れる。


「ひっどい男〜♪」

「まさかっ!別の女(ひと)のところに!?」

「「「きゃー!!!」」」


波に乗った三人の《いかにもそれっぽい演技》は止(とど)まることを知らない。


「酷いわぁ。うちというものがありながら…(涙)」


茶番劇は咲のよよと袂(たもと)で目頭を押さえる仕草で佳境を迎えたが、それを終演させたのは空気を読めない男の(彼にとっては)何気ない一言であった。


「…あぁ、あれは仕方ない。風雪(かざゆき)のことだろ?」

「えっ…、誰?ソレ」

「ていうか本当に別の女(ひと)のところに?」

「いや、だからあれは呼ばれて…」


途端にガラリと空気が変わった。さっきまでの明るさはどこへやら、張り詰めた雰囲気が四人を包む。


「お咲ちゃん、こいつ言い訳してる!」

「最っ低!」

「男の風上にも置けないよ!」


突如として槍玉に挙げられる男、宗明。彼が外見と同じく、冷静且つ優雅な物言いをしていればこのようなことにはならなかっただろう。正に悲劇のヒロインと相成った咲は声も出せずにいる。すかさず双子は宗明の衿元を掴んで咲に背を向け、密談を始めた。


(ちょ…何言い出してんのさ!?)

(そんなの今言うことじゃないわよ!)

(なっ…誰の所為だと思ってんだ!)

((宗明でしょ!))

互いに擦(なす)り付け合う両者。


(…)

((…))


どちらも譲らず睨み合うこと暫し。全く以って醜い争いである。緊迫する空気の中、誰からとも無くチラリと咲を伺う。


「…あ、…燐ちゃんたちはここに泊まるん?」


視線に気付いた咲は無難に話を切り出した。その顔からは多少の驚きとよく状況が飲み込めていないということがありありと判る。


「あ、ぇ…うん!!そそ、そう!そうなの!」


気まずい雰囲気を振り払うように、双子はどもりながらも問いに答える。


「お部屋はもう取ってあるん?」

「ううん!ま、まだだよ!」

「じゃあ、うちのお部屋使う?大っきなお部屋しか取れへんかったんよ」


想像もしていなかった誘いに戸惑う宗明以下三人。


「…ぃ、い、いいの?」

「ええ」

「本当に…?」

「ええ。話したいこともあるし」

(((!!!?)))


咲の思いがけない発言に凍り付く宗明以下略。再び顔を突き合わせ、上手く波を乗り切ろうともがく。


(ちょ…ヤバいよ!どうするのさ!?)

(どうったって…)

(泊まるしか…ないのよね)

(((…)))


沈黙する宗以下略。双子は互いに顔を見合わせ、何事かを感じ取りそれぞれ頷いた。


(…宗明!!)

(ガンバッテ!!)


グッと親指を立てて宗明を促す双子。売られた男は内心叫ぶ。


(お前らあぁ!!)

「なぁに?」


頃合を見計らったかのように、絶妙なタイミングで覗き込んできた咲に、三人同時にビクリと肩を震わせた。


「「「どうも!」」」


慌てて貼り付けた引き攣った笑顔に気付いたのか流したのか、咲は極めてにこやかに、且つ着々と逃げ道を崩していく。


「そ?手続き終わったから行きましょ」

「や…やったー!!」

「さっすがお咲ちゃん!」

「…」

「ふふ。こっちよ」


明るい笑顔の咲とは対照的に、俎上の鯉と成り果てた三人は足取り重く彼女について行ったのだった。






++++++++++

080501 第3稿 修正


背景画像 戦場に猫 様



←PREV・00 / NEXT・02→