時は江戸
長く平和な時代となった
だが、人の世の闇とは消えぬもの
闇より出でしは禍禍しきもの共
今宵、陰と陽とを持って
そのもの共
正してくれようぞ



双狐漫遊〜破妖の剣(つるぎ)〜



 元禄3年 江戸中期 8代将軍吉宗の治める天下のお膝元 『江戸』
 城下の往来は今日も賑わっている。その一角、いつもは閑かな屋敷の前には人だかりができている。輪の中央には3人。青く輝く黒髪の少女、金茶の髪の少年、そして長い黒髪の男。2人の子供は良く徹る声で通行人を呼び止める。


「ちょっとそこ行くおにーさん、面白いもの見て行かない?」

「そこのきれいなおねーさん、これから面白いことするから見て行ってよ!!」


愛らしい二人に誘われてか、はたまた後ろに控える男の怪しげな雰囲気に当てられてか、それとも呼び声に惑わされてか、続々と人垣が出来上がっていく。


「「さぁさぁ、寄ってらっしゃ見てらっしゃい!天下の呪い師、安陪宗明(あべのむねあき)の世にも奇妙な興行だよ!!」」


 揃って声を張り上げた二人の間を割るように、札を持った男が前に出る。男の鋭い眼光に射止められた女たちは嬌声を上げた。男は目元と口元をほんの少し緩めてそれに応えると、札の一枚を口の前に翳(かざ)した。そして何事かを唱えると札を空中に放り上げた。はらりはらりと落ちる間に札は青白い焔(ほのお)を纏い、瞬きの後に八方へ散り、男の頭上へ降る。その幻想的な様子に、誰もが言葉を喪(うしな)い息を呑んだ。男は微笑を湛えたまま札の束を同じように口の前に翳し、空へと投げ上げる。散らばり落ちる札は次々と青白い炎に包まれ、やがて砕けて人々の上に降る。焔を怖れて悲鳴を上げる者が多くいたが、それらは誰にも引火することなく降った。地面に落ちる頃には札が燃え尽きて痕さえ残らなかった。焔を浴びたものの中には肩こりが治った者や耳鳴りが治まった者など、体の不調が消えた者が多くおり、誰もが3人のために小銭を落として行った。





「全く、いつ来てもこの町には物憑(ものつ)きが多いな」


一仕事終えたという態(てい)で肩を回しながら男が零す。


「仕方ないよ。だって人自体が多いもん」


散らばった銭を集めながら少女が苦笑する。


「そういうところは大概諍(いさか)いが絶えないから怨念も生まれやすいし」


全くだと言わんばかりに少年が立ち上がる。


「だから俺たちが食っていけるわけだがな」


 男が後ろの塀に貼り付けていた札を勢いよく剥がした。結界の本体となる封札である。これによって通りを限定して封鎖していたのだ。例えば、物憑きだけが通るように。誰も落とした銭を拾わぬように。興行を終えた後は猫の子一匹通らぬように。こうして彼らは日々の糧を稼いでいる。
子供たちが銭袋を懐に仕舞い、砂塵で汚れた裾を払った。


「今日も稼ぎは上々ね!やっぱり江戸は違うわぁ。落としてくれる額も大きいし、何より憑いてる人がたくさん居るもん。」


「京都の人もお金は持ってるけど、なんか気前が悪いって言うかさ。ここなら3倍は稼げるよ!」


「何でもいいから早く宿を探すぞ。でなけりゃ食いっぱぐれっちまう」


 男は五行を用い妖(あやかし)退治を生業とする、所謂陰陽師である。もともとは京都の陰陽道の名家の生まれであったが、修行という名目で諸国を旅し各地に蔓延る妖(あやかし)を祓っている。連れている二人の子供は彼の血縁で専ら彼の補佐を務めているが、実際の主導権は二人が握っているといっても過言ではない。一行は揃って見目麗しく、ある意味では悪目立ちすることこの上ないのだが、その存在は神出鬼没で大きな事件に発展する前に現れては、鮮やかな手腕で事件を解決していく。人々は口々に彼らを「神使い」と形容した。




『序 手屋』




宗明はおもむろに足を止めた。目線の先には天守閣を思わせる巨大な建物。城下でも有名な高級宿だ。


「どーしたの?宗明(そうめい)」


少年――蘭が不審に思い声を掛けた。


「いや、別に…」


宗明は歯切れ悪く言葉を濁す。そんな中、店の暖簾を目にした少女――燐が嬌声を上げた。


「あーっ!!ここって、もしかしてあの『手鞠屋』!?」


「え、何?燐、知ってるの?」


「知ってるも何も、ここって大名やお上は勿論、あの『閃龍(せんりょう)一座』も泊まったっていう超一流の有名旅館よ!!知らないの!?」


燐は上気して応えた。その眸(ひとみ)は期待を込められて爛々と輝いている。


「ぇええっ!?」


「ねぇ、宗明!ここに泊まるの!?」


一気に間合いをつめた燐が問いかける、というよりも決定事項の再確認をするように問うた。触発された蘭も色めきたつ。


「ホント!?座長の色紙とかあるかな!?」


「あるわよきっと!!」


「うわぁ!!」


2人の眼中には既に宗明は存在していない。


「「おっじゃまっしまーすっ!!」」


双子は勢いよく極彩色の暖簾をくぐった。


「あ、ちょ、お前らぁっ!」


基本的に双子は早合点だ。






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080501 第3稿 修正


背景画像 戦場に猫 様



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